設立から現在までのストーリー
弊社アルミ缶製造の開始とその後のお話
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設立当時について
弊社は1963年に東京都葛飾区でブリキ加工を主として創業いたしました。創業当時はブリキが多く活用されていた時代でした。
戦後から2000年くらいまでは、ブリキを用いた製品の需要は以下のように推移しました。
戦後復興期(1945-1960年代)
- 主に缶詰や食品包装容器としてのブリキ需要が高かった
- 工業製品の再建と食糧保存のニーズから、缶詰産業が急速に発展
- 約60-70%が食品関連の包装容器
高度経済成長期(1960-1970年代)
- 家電製品や玩具、日用品の缶などへの用途が拡大
- 輸出用の金属製品の製造にも多く使用
- 食品関連が40-50%、家電・日用品が30-40%、輸出用が10-20%の需要
バブル経済期(1980年代)
- エレクトロニクス製品の筐体や部品としての需要が増加
- デザイン性の高い缶や装飾品にも使用
- 食品関連が30-40%、電子機器が20-30%、日用品が20-30%
バブル崩壊後(1990年代)
- プラスチックや他の代替素材の台頭により需要が徐々に減少
- リサイクル意識の高まりと環境配慮型素材への移行
- 食品関連が20-30%、電子機器が10-20%、その他の用途が40-50%
2000年前後- グローバル化と素材の多様化により、ブリキの需要は大幅に縮小
- 主にニッチな用途や特殊な製品に限定
- 食品関連が10-20%、工業用途が20-30%、その他が40-50%
ブリキ製品の需要の推移は、日本の産業構造の変化、技術革新、環境意識の高まりと密接に関連していました。プラスチックや他の軽量で安価な素材の登場により、継続的に減少していました。
ちなみに、弊社設立時1963年前後のアルミやブリキで作られた製品の用途としては、以下のようなものが挙げられます。
1. 弁当箱(ブリキ製)
ブリキ製の弁当箱は、当時の学生や労働者の間で非常に一般的でした。丈夫で軽量、そして比較的安価だったため広く使用されていました。
2. 魔法瓶(保温・保冷容器)
アルミ製の魔法瓶は、職場や学校、アウトドア活動で重宝された製品でした。
3. ホーロー鍋
ブリキを基材としたホーロー加工の鍋は、家庭の台所に欠かせない調理器具でした。
4. アルミ製茶筒
茶葉を湿気から守る密閉容器として、多くの家庭で使用されていました。
5. ブリキのおもちゃ
ブリキ製の自動車、飛行機、列車などの玩具は、子供たちに人気がありました。
6. アルミ製水筒
学校や工場、アウトドア活動で広く使用された携帯用の飲料容器でした。
7. ブリキ製お菓子缶
贈答用や保存用のお菓子缶は、デザインも豊富で collectors itemとしても人気がありました。
8. アルミ製の調理器具(ヤカン、フライパンなど)
軽量で熱伝導性が良く、家庭の近代化と共に普及しました。
9. ブリキ製灯油缶
当時、多くの家庭で使用されていた灯油ストーブ用の燃料缶でした。
10. 弁当箱(アルミ製)
学校や職場で使用される、より軽量で丈夫な弁当箱として登場し始めていました。
当時はアルミ製の商品が徐々に世に出てはきていましたが、アルミ製はブリキ製よりも値段が高かったとのことです。
弁当箱でいえば、ブリキ製が当時200円程度、アルミ製だと400円程度で販売されていました。
参考までに、1963年当時の平均的なサラリーマンの月給は約2万円程度でした。
アルミ缶製造のはじまり
このようなブリキ需要の推移の中、2003年頃からアルミの加工に取り組み始めました。
1963年の創業以来、ブリキの加工を中心に製造業務を実施していましたが、ブリキ缶の需要は先細りになると感じていました。
その頃の保有製造設備を有効に活用して、次なる素材の加工を模索している中でアルミ素材に辿り着きました。
銅・真鍮・ステンレスの加工も考えましたが、保有設備とのバランスや、当時としては意外に少なかった化粧品容器としてのアルミ缶製造に注力していこうと考えました。当時の社内からは反対意見も多く、前途多難なスタートであった事をよく覚えています。
誰かからのアドバイスなどは無く、未開の地に飛び込む覚悟を持って始めたものがアルミ缶の製造です。
ちなみに、弊社がアルミ缶の製造を開始した時期にはわかりませんでしたが、のちにブリキの代替素材としてアルミ以外はプラスチック、ステンレス鋼、ガラス、樹脂複合材料、樹脂コーティングされた金属などが定着していきました。現在では、高リサイクル率(アルミはリサイクル率98%)のアルミの特性から他に比べて社会的価値が高く、これからも世に必要とされ続けるものだと思われます。
アルミ加工事業の最初の顧客
アルミの加工事業開始後、最初に発注していただいた企業さまは、樹脂やガラスの容器を製造していたT社様がボトル用のアルミキャップの購入先を探している事を聞き、同業他社の中からT社様との接点を持つ会社に紹介してもらいました。T社様と話をさせてもらえた当時は、我々も未熟なチャレンジャーである事を伝え、それでも良ければ一緒にアルミ素材の世界を広げたいとお願いしました。あれから2024年現在まで既に20年以上の歳月が過ぎています。
その後、アルミ缶の製造に着手出来るようになれた頃には、頭からつま先まで、全身に使用するスキンケア品や化粧品の容器を製造したいと思いました。当時のマーケットには、全てがアルミという容器が少なく、また化粧品メーカーさんも大小様々である事を知り、この分野でのアルミ缶容器の製造を大きく展開していけると信じてしました。今では化粧品メーカー様を含め、多業種に渡って多くのお客様にもご利用いただいています。
事業への想い
この頃から現在まで大切にしようと思っていることは、低価格な物を追求せずに、機能性を高めた高品質な物を創造していこうと決めていました。その容器を手に取ったお客様が、特に意識をする事無く、日々の使い勝手に溶け込んでいく物を製造したいと思っています。
アルミ缶事業が軌道に乗るまでに苦労したこととそこから生まれた教訓
アルミ素材は柔らかく加工しやすい反面、決められた形状に作り上げる事が難しい素材であると、嫌という程思い知らされました。
プレス加工時にアルミ素材を切断する場面があるのですが、この時に切断面から発生する微小なアルミの粉体には手を焼かされました。
微小なアルミの粉体は静電気により加工中の品物に付着してしまい、まるでラメ入りの表面になってしまいます。これではデザインとは全くの別物になってしまい、製造したアルミ缶全てが不良品となってしまいます。製造してはやり直し、また製造してはやり直しを繰り返し、たった7,000個の蓋を製造するのに、3日間を徹夜で作業した事は良い思い出になっています。
こうした経験から、製造に使用する金型の素材や構造の繰り返し、多くの事を学びました。こうした検証活動は現在も進行中であり、完結する事は無いと思います。
当時チャレンジした大きなリスク
まだ買い手も無く、継続したオーダーが無い状態の時に実行した設備投資は大きなリスクでした。設備投資は会社を強くしてくれますが、大きな負担となります。
この負担に対して不安な気持ちが大きくなりますが、逆を見ればその負担で強い製造力を手にした事になります。
何もせずにチャンスを見逃すのか、チャンスが来た時の準備をしておくのか、こうした準備こそがリスクと思います。
これはかなり自分的な考えですが、オーダーを受けてから料理用の食材と道具を仕入れに行く料理屋さんより、どのオーダーに対しても直ぐに調理を始められる料理屋さんの方が、お客様の再訪に繋がると思います。当時このリスクを取ったことで現在までの道が開けました。
現在では、アルミ缶やブリキ缶を中心とした両素材の加工を主として、事業開始後の想いを保ちながらプロ仕様のハイスペックな製品を製造しております。